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  Hカップ以上の娘にありがちなこと 上級編

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砂漠の足跡

677 名前:おさかなくわえた名無しさん[] 投稿日:2009/05/06(水) 01:41:14 ID:/AMuQEhV
ある旅人が広大な砂漠に迷い込んだ。
途方に暮れながら歩いていたが、
ところどころにあるオアシスを見つけては水を補給し、
何とか砂漠から脱出しようとさまよい続けていた。

何度かそういうことを繰り返しているうち、
旅人はふとあることに気付いた。
それは、砂漠をさまよっているときは足跡が1人分しかないのに、
オアシスを見つけて駆け寄っていくときだけ、
足跡が2人分になっているということだった。

旅人が不審に思っていると、突然天から声が聞こえてきた。
「旅人よ、そのもう1つの足跡は私の足跡だ」
旅人は驚き、それが神の声であるということに瞬時に気付いた。
「おお神よ、あなたは何故私が苦しんでいるときだけ私を見捨て、
 私が喜んでいるときだけ、私と共に歩まれるのですか」
旅人は尋ねた。すると神は答えた。
「旅人よそれは違う。私はお前が喜んでいるときお前と共に歩み、
 お前が苦しんでいるときはお前を背負って歩いているのだ」

2009年05月06日 | 感心・深い | コメント (39) このエントリーを含むはてなブックマーク
コメント
これを元ネタにした讃美歌知ってるわ
私だ
わかんね・・・
お前だったのか
よーするに神様はやることやらないくせに、
逃げ口上は上手いって話だよね?
>>47829
お前だったのか
米47835
本文通りなら
神様は素晴らしい方だぞぉ
これFOOTPRINTって言う曲の歌詞に似てる。
今まで神様と一緒に歩んで来たのにいつの間にか足跡が一人分になってて「神よあなたはどこへ行ってしまわれたのですか」「私は今までお前を背負って歩いていたのだ」的な。
実際背負ってなくね?
米47840
自分もそのうた知ってるわww
ラストが「あなたは何も恐れなくて良い 私がここにいるから~」ってやつだよね。
旅人『何回も迷うくらいなら背負ってくれるな。迷惑だ』
背負われてるなら意味わかるけど?
いや、神様の趣旨はわかんなくなるけどねw
2009/05/06(水) 20:08 | No.47851 | URL |    #-[ 編集]
実際旅人が歩いてるんだから
背負われてるのは神だろw
神に背負われてる=生きるも死ぬも神(運命?運?)次第
神と共に歩む=少なくとも自分は自分の足で歩いている=自身で道を選ぶ余裕がある

こういうことで合ってる?
苦しんでいて不幸な時は選ぶ権利すらなく、進む道すら余儀なく決定されるっていう
旅人「え?…じゃあ、食事も水も断って頑張って痩せます」
2009/05/06(水) 21:17 | No.47862 | URL |   #-[ 編集]
自分で歩けwww
いいから早く助けろよドチクソウwww
なんか知らんが涙出てきた
暇を持て余した
神々の
余興
なんだ余興か
よくわからん
つまり旅人が同じオアシスに行ってるって事?
キリスト教徒では有名なお話
英詩フットプリンツの改悪だな
当たり前だが元ネタのほうがずっといいわ
これ聖書で読んだ気がする
幼稚園の頃
2009/05/07(木) 02:36 | No.47953 | URL |   #-[ 編集]
色々言ってるけど、結局だれも細かく解りやすく的確に解説できるヤツ居ねぇの?
俺バカだから何が言いたいのか、解らんわ;
>NO.47955:
足跡が2つのときは旅人と神様が一緒に歩いているから
足跡が1つのときは旅人は神様に背負われていて、神様は旅人を背負って歩いている
勝手に人を背負って、砂漠を右往左往するとか、鬼畜だな。
米47964
でもキリスト教の神ってそうなんだよな…
俺(神)はお前に辛い事も苦しい事もバンバン与えるけど、
それでもゴチャゴチャ疑ってないで黙って信じてりゃいいんだよ、っていう
すげぇ理不尽、信仰心試すために人生滅茶苦茶にしたりするし

まぁ逆に考えれば、人生滅茶苦茶理不尽でツライ時に
これは俺が悪いんじゃない、世間のせいでもない、
すべては神の試練なんだって「理由付け」ができると、人間はラクになる。
みんな説明が欲しいんだよ。なんでこうなの?今の状況にも意味はあるの?って。
そういう「疑問」に「答え」を供給してやって苦しいモヤモヤをスッキリさせてやるから、
宗教ってのは苦痛を取り除くのにうまく出来てるシステムでもあるし、廃れないわけ。

それを踏まえてこの話に立ち返ってみる。砂漠は人生や世間の比喩とする。
この旅人、一人で歩いてる時の足跡は自分の足跡じゃなくて、
実は自分を背負って歩いてる神の足跡ってことになるわけだよな。
つまり神は一見いるように見えない時でも、自分と共にある。
例え絶対的に孤独な苦境でも、神は自分を背負うほど見守ってくれている。
で、その神ってのは信じる者を愛してくれてやまない父なわけ。
一見そう思えなくても、そうだっつーんだからそうなの。異論は認めないの。
だから与えられる試練も愛のムチ。耐えて神の愛に応えるべき。
そう信じる(=思い込む)事によって、旅人は苦難においても悲観せず、前向きに生きてゆく事ができる。
簡単にいうとこんな感じじゃないかね。
単に『神が男を背負っていたから乗り越えられた』というお話
神の助けがなけりゃとっくに男は死んでた
そをなにオアシスってあるもんなの?
そんなにオアシスってあるもんなの?
もし神の言葉が事実ならオアシスに向かう時だけ男の足取りは重くなるはず
実際はどうだろう
結局※47856じゃね
神の声=ラクダ って意味なんじゃないの?
要は精神論かな
実際に背負ってるんじゃなくて(そうだとしたら迷うなこのやろーだわな)、旅人が歩を進められたということは、神がその苦痛を背負ってやったからであり、喜ぶときには共に喜び、歓喜倍増ってことだな

前生茶かのCMで使われてたフレーズ(一緒にいれば笑顔は2倍、涙は半分的趣旨の)みたいなこと
旅人「とっととオアシスつれてけタコ」
いわゆる同行二人ですね
(一人きりの辛い巡礼の旅でも、実はお大師さんがいつも一緒。自分が苦しい時はお大師さんも苦しいし、自分が嬉しい時はお大師さんも嬉しい。っていう)
これキリスト教のパクリじゃん
確か本物は砂浜を歩いてた
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